物語はいよいよ後半戦へ!NHK大河ドラマ『西郷どん』を楽しむ旅 ~西郷隆盛ゆかりの地巡り~Vol.1

公開日 : 2018年06月19日
最終更新 :
筆者 : ララ
勢いよく噴煙を上げる桜島
勢いよく噴煙を上げる桜島

明治維新の立役者、愛と勇気に溢れた西郷隆盛の生涯を綴る、2018年のNHK大河ドラマ『西郷どん』。物語は、いよいよ後半戦へと突入です。これからどうなっていくのか、ますます目が離せない『西郷どん』同様、今、鹿児島では、夏の旅行シーズンを迎え、西郷隆盛ゆかりの地を巡る“大河の旅”が人気です。そこで今回は、NHK大河ドラマ『西郷どん』がもっと楽しめる西郷隆盛ゆかりの地を紹介します。

(1)西郷隆盛生誕の地(石碑)

(1)西郷隆盛生誕の地(石碑)
西郷隆盛生誕の地(石碑)がある公園

1828(文政5)年、鹿児島市加治屋町で西郷隆盛は生まれました。下級武士の家柄で、家族も11人と多く、とても貧しい暮らしだったそうです。雨が降ると雨漏りがするのは当たり前、夜は兄弟がひとつの布団に足を突っ込んで寝るほどだったといいます。

西郷隆盛は、同じ郷中(ごじゅう)である大久保利通たちと切磋琢磨して育ちました。郷中とは、近所の下級武士の子供同士で教え学び合う教育制度です。幼き頃、彼らが過ごした加治屋町は、近くに甲突川(こうつきがわ)が流れ、現在は散策道が整備されています。周辺には、「大久保利通生い立ちの地」など貴重な史跡が点在しています。

西郷隆盛生誕の地(石碑)は、春になると桜の花が美しく咲き乱れます。JR鹿児島本線鹿児島中央駅から徒歩約10分の場所にあります。バスで訪れる場合は、観光バスのカゴシマシティビュー、またはまち巡りバスに乗り、「維新ふるさと館前」で下車すると便利です。

(2)西郷南洲翁宅地跡碑

(2)西郷南洲翁宅地跡碑
西郷南洲翁宅地跡碑

西郷南洲とは、西郷隆盛の雅号(ニックネーム)です。1855年(安政2年)、西郷南洲翁宅地跡碑がある鹿児島市上之園町に引っ越してきたのは、西郷隆盛が29歳の時です。祖父、父、母を相次いで亡くし、西郷隆盛は、旧下加治屋町にあった住宅を売り払い、借金の返済に充てました。新しい屋敷では、弟の吉二郎や従道の結婚式が行われ、西郷隆盛自身も1865(慶応元)年にイトと結婚式を挙げています。

上之園町に住んでいた時期は、西郷隆盛にとって、激動そのものでした。島津藩当主、島津斉彬から才能を認められて出世しますが、斉彬はほどなくして急死します。すると、江戸幕府の大老であった井伊直弼による弾圧が始まり、月照上人との入水自殺、そして、奄美(現在の奄美大島)への島流しを経験します。その後は、大久保利通の助力により、明治維新の志士として復活し、明治新政府では陸軍大将の地位まで昇り詰めるのです。

かつて西郷隆盛が暮らしていた屋敷の跡地は、現在は共研公園(きょうけんこうえん)となり、鹿児島市民の憩いの場になっています。西郷南洲翁宅地跡碑は、JR鹿児島本線鹿児島中央駅から徒歩約5分の場所にあります。

西郷南洲翁宅地跡(共研公園)
西郷南洲翁宅地跡(共研公園)

(3)城山公園展望台

(3)城山公園展望台
城山公園展望台からの景色

城山は、鹿児島市の北部にある標高107メートルの山です。この城山は、麓にある島津家の居城「鶴丸城」が攻められた時のために、後詰めの城(=先陣の後方に待機する軍)として整備されました。1877(明治10)年の西南戦争では、最後の激戦地となり、西郷隆盛たちが立て籠もった場所としても有名です。城山には、西郷洞窟や薩軍本営跡など西南戦争の史跡があります。

城山公園展望台から眺める鹿児島市街地と桜島は、とても美しいです。城山公園展望台へ行くには、JR鹿児島本線鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー、またはまち巡りバスに乗り、「城山」で下車すると便利です。

(4)西郷隆盛終焉の地(石碑)

(4)西郷隆盛終焉の地(石碑)
西郷隆盛終焉の地の入口

1877(明治10)年、西南戦争最後の戦いが、鹿児島市の城山で行われました。9月24日早朝4:00、城山を幾重にも取り囲む政府軍が一斉攻撃を開始しました。西郷隆盛と残された兵士たちは、明治政府軍に向かって最後の突撃を行いますが、味方は次々と倒れ、ついに西郷隆盛は自決し、別府晋介の介錯によってこの世を去ったといわれています。7ヵ月間にもおよぶ日本史上最後の内戦が終結した瞬間でした。

西郷隆盛終焉の地へ行くには、JR鹿児島本線鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー、またはまち巡りバスに乗り、「薩摩義士碑前」で下車すると便利です。または、JR鹿児島本線鹿児島駅から徒歩(約10分)でも行けます。

西郷隆盛終焉の地(石碑)
西郷隆盛終焉の地(石碑)

(5)南洲神社と南洲墓地

(5)南洲神社と南洲墓地
南洲神社の鳥居と南洲墓地

南洲神社は、西南戦争で亡くなった西郷隆盛を含む薩軍の兵士たちを祭る神社です。隣にある南洲墓地には、西郷隆盛の墓を中心に2,023人もの兵士が埋葬されています。同じ戦争で亡くなった人たちの墓が1ヵ所に集まっている墓地は、全国的にも珍しいそうです。

ここは、桜島と鹿児島市街地を見下ろす絶景スポットでもあります。南洲神社では、参拝の記念に御朱印をもらうことができます。また、新しくできたカフェ・境内茶屋なんしゅうで、西郷どんや愛犬ツンのラテアートのコーヒーを楽しむのもおすすめです。

南洲神社と南洲墓地へ行くには、JR鹿児島本線鹿児島中央駅からカゴシマシティビュー、またはまち巡りバスに乗り、「西郷南洲顕彰館(南洲公園)前」、もしくは「南洲公園入り口」で下車すると便利です。または、JR鹿児島本線鹿児島駅から徒歩(約10分)でも行けます。

「境内茶屋なんしゅう」のラテアート(西郷どん)
「境内茶屋なんしゅう」のラテアート(西郷どん)

いかがでしたか。NHK大河ドラマ『西郷どん』がもっと楽しめるようになる、西郷隆盛ゆかりの地を紹介しました。Vol.2では、西郷隆盛銅像や鹿児島名物の黒豚が食べられる食事処を紹介します。

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