ルクレール将軍・ジャン・ムーラン博物館 パリ解放から75年。貴重な資料を集めてパリに誕生

公開日 : 2019年07月09日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき
ニコラ・ルドゥ広場 ルクレール将軍・ジャン・ムーラン博物館となる建物の図 ©Ch. Batard, Agence Artene
ニコラ・ルドゥ広場 ルクレール将軍・ジャン・ムーラン博物館となる建物の図 ©Ch. Batard, Agence Artene

2019年8月25日(日)、パリ解放からちょうど75年目にあたるこの日、第二次世界大戦の大きな立役者となった人物2人の名を冠する「ルクレール将軍・ジャン・ムーラン博物館(Musée du Général Leclercq, Musée Jean-Moulin)」が、フランス・パリにオープンします。今回は、貴重な資料を集めたこの新ミュージアムを紹介します。

パリ解放とは?

パリ解放とは?
1944年8月25日ダンフェール・ロシュロー広場の第二機甲師団 ©Don Franco-Rogelio / Musée de la Libération de Paris – musée du général Leclerc - musée Jean Moulin (Paris Musées)

1939年9月、ドイツのポーランド侵攻をきっかけとして始まった争いは、世界中に影響を及ぼし、その後第二次世界大戦と呼ばれることになる6年の長きにわたる戦いとなりました。

この大戦の最中、フランスの首都であったパリは、4年もの間ドイツ軍の占領下に置かれ、首都としての機能を失いました。より正確に言えば、ドイツが占領したのはパリだけではありません。今のフランスの北半分はドイツ占領下におかれたのです。実際、フランス中部ヴィシーにおかれたヴィシー政権の及ぶいわゆる「自由地域」は、南部のわずかな領域だけでした。

このヴィシー政権がドイツにおもねる色を増していくのに対し、あくまで、ドイツに対抗して戦う意思を貫こうとしたのが、「レジスタンス」と呼ばれる地下の抵抗運動です。

後に大統領となるシャルル・ド・ゴールは、当時軍人で、第二次世界大戦勃発当初より参戦し指揮を執っていましたが、1940年6月のパリ陥落を受け、やむなくイギリスへ渡り、亡命政府「自由フランス」を結成します。その後、ロンドンからラジオ放送を通してフランス国民を鼓舞するとともに、本国のレジスタンス活動家とも連絡を取り、また自らは北アフリカ戦線で戦い、対独抗戦を続けます。

そうして、最終的に、連合軍の協力を得て、1944年8月25日のパリ解放へとつながるのです。

2人のヒーロー

2人のヒーロー
工事中の新ミュージアムの様子 ©musée du général Leclerc et de la Libération de Paris – musée Jean Moulin (Paris Musées) / Pierre Antoine

この一連の戦いで活躍した軍人やレジスタンス活動家は、数多くいますが、なかでも、ルクレール将軍とジャン・ムーランの名は、特によく知られています。

ルクレール将軍とは?

ルクレール将軍とは?
1931~1945年にかけてルクレール・ド・オートクロク将軍が愛用したステッキ ©Stéphane Piera /musée du général Leclerc et de la Libération de Paris -musée Jean Moulin (Paris Musées) / Roger Viollet

ルクレール将軍は、第二機甲師団を引き連れて、パリに入城し、パリ解放を現実にするのに大きな役割を果たしました。

ジェネラル・ルクレール(ルクレール将軍)の名前は、国中あちこちで目にするもののひとつです。通りや広場など住所にも使われていれば、町中の像や石碑などにもルクレール将軍の名を刻んだものが多くあるからです。

ところが実は、ルクレールというのは偽名で、本名はフィリップ・フランソワ=マリー・ド・オートクロクというものでした。ルクレールという偽名を使ったのは、第二次大戦中、イギリスに亡命してからのことで、フランス国内に残した妻子に迷惑が掛からないようにという配慮からのことでした。

何はともあれ、亡命後、イギリスでのド・ゴール将軍との面会が、彼のその後の人生を左右することになったといえるでしょう。

ルクレール将軍は、戦後まもなく職務中の飛行機事故により45歳で亡くなりましたが、そのニュースは、フランス全土に衝撃を与えました。国民議会全会一致で国葬が決定され、ノートルダム寺院での儀式の後、その遺体はアンヴァリッドに安置され、今に至ります。

ジャン・ムーランとは?

ジャン・ムーランとは?
画才もあったジャン・ムーラン愛用のパステル ©Lyliane Degrâces-Khoshpanjeh / musée du général Leclerc et de la Libération de Paris - musée Jean Moulin (Paris Musées)

ジャン・ムーランは、おそらくフランスで最もよく知られたレジスタンス活動家です。コード名で呼び合っていたレジスタンス活動家たちですから、戦中に命を落とした者の多くは、いまだに本名が判明していないケースも少なくありません。その点、ジャン・ムーランは写真も残っており、レジスタンス運動の指導者として、44年の激しい人生を生き抜いたことが広く知られています。

第二次世界大戦勃発当時、彼は、シャルトルで県知事の職にありましたが、ニュースを聞いて第一線で何かをせずにはいられない思いに駆られ、即座に行動に移ります。
その後、さまざまな曲折を経て、彼もまた1941年9月にロンドンへ渡り、ド・ゴール将軍と面会。その指導のもと、本国「自由地域」のレジスタンス活動をまとめる大役を負うことになります。

公式な記録によれば、ジャン・ムーランが亡くなったのは、1943年7月8日のこと。ドイツ軍に捕らえられ拷問を受けた後の移送中のことだったとされています。ジャン・ムーランのものとされる遺体は荼毘に付され、その遺灰はパリのペール・ラシェーズ墓地に「身元不明」として安置されました。

しかしながら、1964年、パリ解放20年を祝う際、彼の遺灰は、シャルル・ド・ゴール大統領の見守る中、パンテオンに合祀されます。余談ながら、この時のアンドレ・マルロー文化相のスピーチは、いまもなお、フランスのもっともすばららしいスピーチのひとつに数えられる感動的なものでした。

新ミュージアムの見どころ

新ミュージアムの見どころ
展示の様子シミュレーション ©Agence Klapisch-Klaisse

今回新たにオープンするミュージアムの前身は、パリ解放50周年の1994年から2018年までモンパルナスに置かれていました。元のコレクションは、ルクレール元帥財団からの寄付と、ジャン・ムーランの親しい友人だった画家アントワネット・サスの遺贈によるものです。今回の新移転で更にコレクションが増え、合計300を超える写真や資料、オブジェクトが展示されることになります。

ダンフェール・ロシュロー広場、ニコラ・ルドゥによる建築 ©Maurice-Louis Branger / Roger-Viollet
ダンフェール・ロシュロー広場、ニコラ・ルドゥによる建築 ©Maurice-Louis Branger / Roger-Viollet

また、今回新ミュージアムのために大規模な改装がなされた、18世紀の建築家クロード=ニコラ・ルドゥ(Claude-Nicolas Leoux)による建築も注目に値するものです。古代ギリシアのプロピュライアを参照したつくりで、1907年から国の歴史的建造物の指定を受けています。場所は、パリ14区のダンフェール・ロシュロー広場です。

ロル・タンギー大佐の指令室のあった地下、工事中の様子 ©Pierre Antoine
ロル・タンギー大佐の指令室のあった地下、工事中の様子 ©Pierre Antoine

実はこの場所は、パリ解放と浅からぬ縁で結ばれています。というのも、この建物の地下20メートルには、パリ解放の戦闘時、仏国内軍の責任者であるロル=タンギー(Rol-Tanguy)大佐の指令室が置かれていたのです。この地下の元指令室が一般公開されるのも、これが初めてのことです。

未来を描くには、過去の理解が不可欠です。パリ解放から75年という大きな節目の年。この機会に、全世界を揺るがした二つの大戦の流れを、フランスの視点で振り返ってみると、もしかしたら今まで気づかなかったことも見えてくるかもしれません。

いかがでしたか。2019年夏にオープンする「ルクレール将軍・ジャン・ムーラン博物館(Musée du Général Leclercq, Musée Jean-Moulin)」を紹介しました。フランス・パリに立ち寄った際には、ぜひ足を運んでみてください。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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