ポーランドの魂を集めたルーヴル・ランス美術館の特別展(フランス・ランス)

公開日 : 2019年10月14日
最終更新 :
筆者 : 冠 ゆき
ポーランド展入り口 ©Frédéric Iovino - Musée du Louvre-Lens
ポーランド展入り口 ©Frédéric Iovino - Musée du Louvre-Lens

2019年は、フランスとポーランドの間の移民条約締結から100年を数えます。これを記念し、ルーヴル・ランス美術館(Musée du Louvre-Lens)では2つの特別展を開催中です。ひとつは、1840年から1918年の代表的なポーランド絵画約120点を集めた「ポーランド(Pologne)」展。もうひとつは、1922年フランスに移住したポーランド人写真家カシミル・ズゴレツキの写真展です。

ポーランドとフランス北部の密な関係

ポーランドとフランス北部の密な関係
ポーランド語とフランス語で書かれたポーランド移民経営店の看板 Kasimir ZGORECKI 1920-1930, ©adagp/CRP Hauts-deFrance

フランス北部には、ポーランド系の移民の子孫が多く住んでいます。ポーランドの姓は特徴的で、見ればすぐそれと分かりますが、ほとんどは第3、第4世代であるため、ポーランド語を話す人は、意外に少ないようです。

1919年の移民条約締結当時、フランス北部では石炭採掘が活発に行われており、労働力を必要としていました。実際、1920年代にフランス北部に移住したポーランド人の多くは、炭鉱の仕事に就くのを目的としていました。1919年から1928年にかけて、炭鉱での労働契約にサインをしたポーランド人は28万人にのぼったといいます。

空から見たルーヴル・ランス美術館(手前右)奥にはぼた山がそびえる ©SANAA / K. Sejima & R. Nishizawa - IMREY CULBERT / Celia Imrey & Tim Culbert - MOSBACH PAYSAGISTE / Catherine Mosbach - Photo Iwan Baan
空から見たルーヴル・ランス美術館(手前右)奥にはぼた山がそびえる ©SANAA / K. Sejima & R. Nishizawa - IMREY CULBERT / Celia Imrey & Tim Culbert - MOSBACH PAYSAGISTE / Catherine Mosbach - Photo Iwan Baan

フランス産業の発展を支えた北部の炭鉱群は、「ノール=バ・ド・カレ炭田地帯」と呼ばれ、2012年にはユネスコの世界遺産に登録されました。今でも、この地方には多くの炭鉱跡や、掘り出した黒い土を盛り上げてできた"ぼた山"がそこかしこに見られ、独特の風景を作っています。

今回の会場であるルーヴル・ランス美術館は、ランス(Lens)の炭鉱跡に2012年に建てられた美術館で、「ポーランド」展を催すのにこれほどピッタリな場所はないといえるでしょう。

世界地図からポーランドの名が消えた123年間

世界地図からポーランドの名が消えた123年間
ポーランド展展示から ©Frédéric Iovino - Musée du Louvre-Lens

ポーランドの歴史は、10世紀にはじまります。ポーランド・リトアニア時代には、北はバルト海から南は黒海まで広大な領土を誇ったこともありました。ところが、18世紀に入ると、内戦を含む数々の戦いで国は衰退。それに乗じた近隣のロシア帝国、プロセイン王国、オーストリアに領土を分割され、1795年、地図上からポーランドという国は消えてしまいます。

その後、多くの苦難を経て、ポーランドが独立を取り戻したのは、123年後の1918年でした。

ヤン・マテイコ『レイタン、ポーランドの没落』を鑑賞する人々 ©Frédéric Iovino - Musée du Louvre-Lens
ヤン・マテイコ『レイタン、ポーランドの没落』を鑑賞する人々 ©Frédéric Iovino - Musée du Louvre-Lens

この、失われたポーランドの時代も、フランスとポーランドは歴史的につながっていました。特筆すべきはナポレオン一世が1807年にワルシャワ公国を作ったことです。

ワルシャワ公国の誕生はポーランド人に大きな希望を与え、その熱狂から、10万人がフランス軍に志願したといいます。彼らが従軍した1808年スペインでのソモシエラの戦いや、1809年ラシンの戦いをポーランド人画家が描いたのは、そういう背景があるからです。

1830年にポーランド人による11月蜂起が失敗に終わった後は、ポーランドの貴族や文化人らエリートたちがパリに亡命し、「小さなポーランド」を形作ります。

画像をお見せできなくて残念なのですが、テオフィル・クフィアトコフスキによる『ランベール邸の舞踏会』には、ポーランドを代表する詩人アダム・ミツキエヴィッチやフランス人作家でありショパンの恋人であったジョルジュ・サンドが、ポーランド出身であるフレデリック・ショパンのピアノを聞く様子が描かれています。

ポーランドの魂を描く

ポーランドの魂を描く
ユゼフ・ブラント(1897)『ヴィラヌフ宮殿を出るヤン3世ソビエスキ』©Musée national de Varsovie / Piotr Ligier

1840年から1918年の作品を集めた「ポーランド」展。そこには、抑圧されながらも独立を渇望し続けたポーランド人の「祖国」の姿が浮かび上がっています。

失われたポーランドに形を与えるかのように、画家たちはポーランドの過去の栄光、そして没落をテーマに選び、また、ロシア帝国支配時代の不安と苦悩をも描いていきます。

ヤツェク・マルチェフスキ(1883)シベリアへ送られる途中のひと時を描いた『行程』 ©Musée national de Varsovie / Piotr Ligier
ヤツェク・マルチェフスキ(1883)シベリアへ送られる途中のひと時を描いた『行程』 ©Musée national de Varsovie / Piotr Ligier

やがて、自らのアイデンティティを求めるように、伝統や風習、北国の自然にスポットを当てる絵画も多く描かれるようになります。「ポーランド」展では、それらの変遷を時代とテーマ別に追うことができます。

ジュリアン・ファワット(1913)『川と鳥のいる冬の風景』 ©Musée national de Varsovie / Krzysztof Wilczyński
ジュリアン・ファワット(1913)『川と鳥のいる冬の風景』 ©Musée national de Varsovie / Krzysztof Wilczyński

この特別展は、ポーランド国立美術館とのコラボレーションによるもので、ポーランド独立100周年を記念する2017-2022年の文化プログラム「Polska 100」の催しのひとつでもあります。

フランス北部のポーランド社会

フランス北部のポーランド社会
カシミル・ズゴレツキ(1920-30)『女性像』 ©adagp / CRP Hauts-de-France

同時期に開かれる「小さなポーランドを写真に撮る(Photographier la “Petite Pologne”)」展は、1922年にフランスに移住したポーランド人写真家、カシミル・ズゴレツキが1924年から1939年にかけて撮りためた作品を紹介します。

フランス移住後、カシミルは炭鉱夫として働いた後、写真の世界に足を踏み入れます。祭りや祝い事、結婚式の写真はもとより、祖国に送るための家族写真を多く手がけました。

スタジオだけでなく、被写体の日常の場である家や店の前で撮ったこれらの写真は、フランスに順応しながらもルーツを大切にする、「小さなポーランド」社会を浮き彫りにします。

カシミル・ズゴレツキ(1933)『裁縫サロン』 ©adagp /Frédéric Lefever
カシミル・ズゴレツキ(1933)『裁縫サロン』 ©adagp /Frédéric Lefever

ズゴレツキの写真作品が見つかったのは、1990年代に入ってからのことでした。見つけたのは、カシミルの孫娘と結婚した、これまた写真家のフレデリック・ルフヴェル氏。屋根裏部屋の整頓をしていて、なんと3700枚もの写真乾板を見つけたのだそうです。

ポーランドに関するさまざまな催し

ポーランドに関するさまざまな催し
©Laurent Lamacz - Musée du Louvre-Lens

両展の会期中、ルーヴル・ランス美術館では、ピアノコンサート、劇、講演会など、多くのポーランド関連の催しが企画されています。

そのなかでも注目したいのが、2019年11月11日(月)~11月17日(日)のポーランド協会によるイベント週間と、2019年12月4日(水)の聖バルバラの日です。ポーランド協会のイベント週間には、ポーランドの伝統音楽やダンス、劇などが披露される予定です。また、炭鉱夫の守護聖人である聖バルバラの日には、伝統に即したパーティが予定されています。

いかがでしたか。今ではフランスの一部となったポーランド系移民たち。彼らの100年を振り返ることは、フランスとヨーロッパの歴史を振り返ることにもつながります。ぜひ足をお運びください。

筆者

フランス特派員

冠 ゆき

1994年より海外生活。これでに訪れた国は約40ヵ国。フランスと世界のあれこれを切り取り日本に紹介しています。

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